私の教員時代のお話です。
実は私、、、正直、運動があまり得意ではありません。
運動会のかけっこはいつも真ん中ぐらい、
少年野球では補欠の時もありました。
しかし、木登りなどの外遊びをはじめ、週末は野球、放課後はサッカー、休み時間はバスケを。
習い事は水泳などたくさんのスポーツを経験し、楽しんできました。
「私と同じような運動が得意ではない子でも、たくさんのスポーツを楽しさを感じてほしい!」
そう志を立てて、教員を目指し、
中学校で教員生活をスタートしました。
しかし、体育教師として体育の授業を一生懸命やろうとしていた中、待っていたのは担任としての学級経営ややんちゃな生徒の指導、体育大会や文化祭などの学校行事、経験のない部活動での指導などその他、学校としての多岐にわたる校務の数々です。
また授業も一度に40人を教えなければなりません。運動能力も二極化している子どもたちですから、どうしても、
「あれも教えたい!けど、時間数が足りない。」
「この子にも教えたい!けど、授業を進めて成績つけなきゃ。」
と、理想としていた授業はなかなかできず、いつしか
- 生徒を集団行動でガチガチにしばる
- 子供ができるようになることよりも、授業の進度や成績を優先するようになる
という、子供のためにならない授業をする教員になってしまっていました。
それでも授業や部活、仕事でそれなりに上手くこなせるようになっていました。
運動能力の二極化
しかし、年々、出会う子供達は体力低下が進み、運動能力の二極化が進んでいました。
運動が苦手な子たちは、自分の体を思うように動かせず、ぎこちない動きを繰り返し、みんなとスポーツすることに自信を持てない様子でした。
運動ができる子達といっても、できるのは自分が幼少期から習っていた種目だけで、テクニックはあるけど体の動かし方がよくわかっていないことがほとんどでした。
また、その子たちの問題は幼少期から一つの種目を行ってきたが故のオーバーユース、つまり練習のしすぎによるひじやひざ、腰などの慢性的なケガでした。
疲労骨折やジャンパーひざ、野球肘の子供が年々増えていきました。
さらに1番の問題は、幼少期から取り組んでいたそのスポーツで燃え尽きてしまった子どもも一定数いました。
どうしてそうなったか聞いたところ、
「指導者に怒られすぎて嫌いになった」
という、答えを聞いた時はとても悲しくなりました。
しかし、小学生のチームではよくある話ではないでしょうか。
小学校で見た学力低下の実態
「小学生から体育を指導できれば、改善できるのではないか?」
そう考え、通信制課程で小学校教諭の免許を取り、小学校で勤務することになりました。
小学校3年生を担任し、そこで待っていたのは、運動以前の
- 話をしっかり聞く
- 相手とのコミュニケーションをとる
という、当たり前のことが全くできていない実態でした。
例えば、目を見て話せば伝わるけど、全体に向けて話すと全く伝わらない子供が多くいました。
また、隣にいる子と直接話せずに先生である私が間に「通訳」として入って話をしなければならないことも多くありました。
それらの子供たちに共通していたのはやはり運動経験の不足でした。
- 体幹が弱い→集中力がない→話を聞けない→学力が低い
- 複数人と話したり、遊んだ経験が少ない→相手が何を考えているかわからない→コミュニケーションがとれない
このような悪循環の根本は、幼少期からの運動経験の不足や運動する環境の減少でした。
「子供達の未来を変えたい」
その一心で、教員を辞めて独立をしました。
- 徹底的に少人数で一人一人を伸ばしたい
- 幼少期からさまざまな運動経験や運動感覚を養い、けがなく、どんなスポーツにも楽しく取り組んでもらいたい
- 運動、スポーツを通して、学力やコミュニケーション能力も身につけてほしい
この3つの思いを実現するべく、ハピネス・スポーツクラブKOTAを立ち上げるに至りました。
これからその実現のためにまずは地域の課題を克服していきます。